Layabout

物忘れが激しく物覚えが悪い、三十路の備忘録

ニュース の記事一覧

スポンサーサイト

--.--.-- (--)
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

docomoもiPhone。ドコモクラウドどこへいく

2013.09.11 (Wed)
出ないと信じて疑わなかったけどハズレてしまった。

こりゃますますiPhone所持率が上がるだろうね。
ドコモには国内のメーカーと心中するくらいに頑張ってほしかったけど、やっぱそうはいかんのね。
それだけアップル以外のメーカーがふがいなかったということか…

ドコモとアップル、互いに条件面で譲らずここまで来たわけだけど、どちらがどこまで折れたのか。
ドコモクラウドの普及にiPhoneが一役買うなんてことがあるのか。

いずれにしても、iPhoneがあるからソフトバンクやauに移っていたユーザーが帰ってくることも考えると、相当に売れるだろうなあ。

結局、通信品質の競い合いと値引きバトルにドコモが加わってしまったというのは、なんともはや
スポンサーサイト

著作権の非親告罪化が著作者とファンの共犯関係を壊す

2013.07.28 (Sun)
TPP交渉における著作権の論点のうち、保護期間延長と同等に重要視されているのが著作権侵害の非親告罪化だ。

アメリカ側が要求するこの非親告罪化が成立すれば、今は著作者本人の告訴がなければ起訴できない著作権侵害が、検察の判断だけで可能になる。そのため、著作権侵害の取り締まりが一層強化されるだろう、と考えられる。

アメリカがなぜこのような法改正を要求しているのかというと、自国のコンテンツを日本でもがっちり死守したいからである。
前回の記事で書いたように、天下のディズニー擁するアメリカは、圧倒的なコンテンツ輸出大国。ミッキーやプーさんによる権利収入を余すところなく拾い上げるために、著作権の保護を強化する「保護期間延長」「非親告罪化」を要求しているわけだ。

しかし著作権を守るため、とはいうものの、日本の市場に置いてはそれが直ちに権利者のメリットになるとは限らないから大変だ。

デメリットのひとつが、同人活動の制限である。
今まで「グレーゾーン」として意図的に見逃されてきた、ファンによる同人誌の売買や、いわゆる「MAD」のような二次創作動画の作成が、非親告罪化によってことごとく取り締まりの対象になってしまう。

作品の流用・改変・パロディであるファンの二次創作がなぜ黙認されているのかというと、原著作物の人気の維持・拡大に貢献しているからだ。権利を行使してファンを締め付けるよりも、自由にやらせて自作の露出や話題を広げてもらったほうが“うまみ”があるというわけ。

そもそも著作権者「訴えてやる!」と鼻息を荒くするのは、無断使用や盗用によって他社の作品が利益を得て、原著作物が利益を損なう、ゼロサムゲームが展開される場合である。
対して同人活動は原著作物のファンであることが前提であり、権利者と利用者の共犯関係がうまく築けているといえる。

最近は特にネットで“ネタ化”する作品や、いわゆる”腐女子”に愛でられる作品が局地的に人気を得る傾向が強く、自由な遊び場を奪うことは他ならぬ著作権者の不利益につながる。
ワンピースのような大衆人気を得にくい昨今、一部のコアなファンは従来以上に大切なお客様なのだ。

また、コミケやコスプレなどは日本独特の文化として海外でも認知されている側面もあるため、「文化の発展」という著作権法の目的に照らせば、それらを自ら失うことはすべきでない、とも僕は思う。

さらに経済の観点に立ってみると、コミケは553億円(08年、矢野経済研究所)もの市場規模があるとされており、決して小さくない経済効果を生んでいることも無視できない事実であろう。
まあ、どんだけファン同士が売買しても著作権者に1銭も身入りがないのは問題かもしれないけど、前述したような二次的な利益を享受していることで、今のところ「得」なんだろうね。

本当を言うと、きちんと権利処理したうえでファンが楽しめるのが一番なんだよね。
例えばフィギュアなどの同人即売会である「ワンフェス」では、その日その場所限定の版権が認められるシステムになっている。しかし同人誌においては作品がより多様・大量であり、立体物よりも版元の審査に手間がかかる、などの理由からコミケでは取り入れられていない。
他方ではJコミの代表を務める赤松健氏が、正式な認可を示す「同人マーク」の導入を提案している。
いずれにしても権利者とファンがそれぞれ個別に権利処理するのは現実的でないので、イベント運営者が一括して管理し、権利者に成り代わって販売の可否を判断できるようにしなければならんだろうなあ。

同人活動の制限以外にも、非親告罪化による問題はある。
創作活動が萎縮してしまう可能性もあるだろう。訴えられる可能性が高まるのだから、出版社や作者は表現にことさら気を使わなければならないし、チェックの手間も増える。
それに著作者の意志に関係のない告訴がもしバンバン行われるようになると、当事者の利害には影響がないのに、人員や時間やコストばかりが余計に発生してしまう。素晴らしい作品が第三者のいちゃもんで台無しになってしまうかもしれない。
これは文化的にも経済的にも損失ではないのか。

長くなってしまったが、非親告罪化は権利を厳格に守る一方で以上のような弊害を生む諸刃の剣だ。
僕は、権利の”遊びの部分”がコンテンツの売上拡大につながると思うけれど、海賊版や違法コピー、違法アップロードは単純に経済損失なので非親告罪化してでも厳しく取り締まるべきだと思う。
この線引きは超ムズカシーのだが、言ってしまえば「コンテンツによる儲けを増やすかどうか」がラインなのではなかろうか。

前回から再三書いているが、著作権とマネーの関係がもっと明確になればいいなと思う。
僕ら消費者にとって著作権は、パクリをめぐる感情論などに終始しがちだが、ひとつひとつの二次使用あるいは違法な利用がどういう利益・損害につながるかは、あまり身近でない。でもそこを理解しないとTPPの議論が進まないし、海外にコンテンツを売るどころか国内のコンテンツ産業でさえうまく育てられないように思う。
日本の資産としてのコンテンツに、もっと目を向けていこうと思いますハイ。

著作権の保護期間延長が問題視されるワケ。コンテンツとマネーの関係をもっと啓蒙しよう

2013.07.24 (Wed)
日本のTPP参加にともなって、「著作権の保護期間延長に合意した」との記事が出たり出なかったりしたようで、著作権関係者の界隈では米国化と不利益への懸念が広がっている。

聖域とされる自動車産業や農業に比べて、どうも軽く見られているコンテンツ産業。
それは著作権とマネーの関係が見えにくいことに起因するのではないかと推測する。

普段、山ほどの著作物に囲まれているにも関わらず、権利でお金を稼ぐ仕組みがいまいち伝わっていないというのが正直なところだろう。
それどころか、いかに権利をかいくぐり、無料でコンテンツを楽しむかのほうに興味が行きやすいのだから仕方がない。

しかし実際は、マクロな視点で見ればかなり大きな金額が動く重要な産業なのである。

http://internet.watch.impress.co.jp/docs/news/20130701_605885.html
上記の記事では、日本は著作権使用料の国際収支で年間5800億円もの赤字を計上していること、対してアメリカは年間9兆6000億円の黒字であることが指摘されている。
「ミッキーマウス」や「くまのプーさん」の著作権は、目に見えないその権利を売ることで、モーレツに外貨を稼いでいるのである。恐るべし!
それに比べて、「ジャパニメーション」やら「manga」がある程度世界で認知されているはずの日本は、マネタイズが遅れていることがよくわかる。

知的財産のひとつである著作権は、文字通り財産であって、権利の保護期間中は著作者やその遺族に利益をもたらす。お金を生み出す大切な資産なのである。


はて、著作権をより長く保護しようとする提案に、なぜ反対するのだろう? というギモンが湧く方もいるだろう。

それは簡単に言うと、アメリカに有利だからである。

TPPにおけるアメリカの要求は、主に「著作権保護期間の延長」と「著作権侵害の非親告罪化」だ。
前者は、現在日本では「著作者の死後50年間」という権利の保護期間を、70年間に延長しようというもの。アメリカではすでに70年間に延長されており、「ミッキーマウス」の保護期間が切れかけた際に延長されたため、ミッキーマウス保護法などと言われたりしている。

先ほど見たようにアメリカはコンテンツの輸出大国であり、古い作品がいまだに主力を担っている。だから保護期間を延長してまだまだ稼ぐぜ! てな態度なのである。
もうおわかりだと思うが、それでは日本の赤字は解消されない。

かようにアメリカは著作権という財産を活用してガンガンお金を稼ぎ、かたやコンテンツ大国であるはずの日本はうまく稼げないどころかアジアで海賊版が横行するなどして得られるはずの利益さえ失っている。
かてて加えて、さらにアメリカ有利の法律を押し付けられようとしていると思うと、なんとも口惜しいではないか。

まあ、僕らもディズニーやハリウッド映画を楽しんでいるのは事実。日本が有力なコンテンツをしっかりとお金に換えられれば赤字は解消できるわけで、だからこそ「コンテンツ立国」を標榜して国を挙げて政策を練っているのだけどね。
それが容易にいかないところが、この問題のややこしいところだなあ。

そして国内には、保護期間延長に肯定的な関係者が少なくないのもまた然り。松本零士先生なんかがそうらしい。著作者や遺族の立場になれば、財産の価値がより高くなるのだから当然だ。
とはいえ無闇に保護期間が長いとその分だけ利用が制限されて文化の発展に寄与しにくくなったり…

いやはや難しいが、ここでは文化的な側面はとりあえず置いとくとしよう…

いずれにしても、日本だってこれからは、がっちりと権利処理したコンテンツを世界に流通させていかなければならないわけで、著作権とマネーの関係を僕ら消費者もきちんと理解しなければいかんよなあと思う。それが成功したときには保護期間が長いほうがいいという論調になっているかもわからん(あくまでもお金の面では)。
以前に電子書籍の不正ダウンロードがニュースになったが、そういうのがジワジワとコンテンツの利益を損なっていくんだよなあ。著作権のリテラシー教育は、やらねばいかんと思う。ネットがあればコンテンツはタダ、という感覚は、やっぱよくないわよね。

他方「著作権侵害の非親告罪化」は、権利者が訴えなければ罪にならない「親告罪」を、第三者の訴えでも罪になる「非親告罪」に変えようとするもの。
これもね、著作物の盗用や無断使用を、さらに厳しく規制することになるのだから、権利を死守して金を稼ぐアメリカにはメリットが大きいだろう。ディズニーがどんだけ著作権にうるさいかは、説明せずとも皆ご存知のはずだ。

日本ではどうかというと、同人活動や二次創作に関して賛否両論、侃々諤々の状況なんだけど、長くなってしまうのでこの記事はオシマイ!

謝罪の出番? 『どげせん』と『謝罪の王様』に類似性・依拠性はあるか

2013.06.10 (Mon)
音楽にせよ絵画にせよなんにせよ、表現には模倣・盗作問題がつきものである。むろん映画もしかり。
映画『謝罪の王様』が漫画『どげせん』の盗作なのではと少々話題になっている模様。

著作権法上、盗作と認められるには作品の類似性依拠性を証明せねばならない。はたして当該2作品の間にはそのような関係があるだろうか。

類似性とは要するに両者の表現は似ているかという判断である。
話題の2作は両者とも「謝罪」がモチーフになっていてその点では似ているといえるが、これだけでは、たとえば野球漫画2作品を比較しているのとそう変わらない。謝罪自体に独創性はなく、一般的に認知されているからだ。
では、あらすじはどうだろうか。
<どげせん>
平凡な高校教師、瀬戸登が、土下座を駆使してさまざまなトラブルを解決していく。
<謝罪の王様>
「謝罪師」黒島譲が、依頼人から舞い込む大小さまざまな事件に遭遇し、謝罪のテクニックを駆使して解決していく。

ふむふむ。次に、今回の騒動の発端となったポスターに関する視覚的表現。

<どげせん>
単行本の表紙では土下座の動作全体を描写したものは見られない。作中や連載時の扉、グッズの広告などには、土下座する男性を正面から描いた絵がある。
<謝罪の王様>
ポスター、WEBサイトのトップページなどなど、広報物のメインは土下座する男性を正面から写した写真になっている。

なるほど。この他、主人公の容姿やタイトルデザインなどは、まったく異なるといってよさそうである。
類似性についてはいったん置いといて、依拠性についても考えてみよう。依拠性とは、後発の作品が先発の作品を参照して作られたかどうか、である。

クドカンが『どげせん』を見たうえで真似したかどうか、という話なのでこれを断言するのは非常に難しい。ただし、見ていないことが立証できれば、たとえ作品が類似していても盗作にはならない。依拠性とはそういった性質のものだ。
まず、クドカンが『どげせん』を見ることができる可能性があったか。これは○であろう。『どげせん』は一般に流通している漫画であるし、謝罪をテーマに作品を作ろうと思えば、おそらく、情報が入らないことはないだろう。
次に、明らかに参照したと思われる表現(台詞や絵)があるかどうか。これは『謝罪の王様』が公開されるまで僕にはわからない。今のところは「土下座」の図がまあ似ているというところか。
そして最後に先発作品の著名性・周知性だが、週刊雑誌に連載していたこと、原作が板垣恵介氏であることなどから、一定程度の知名度はあったと考えていい。少なくとも、クドカンが絶対に知らないと言い切れるほど無名ではない。


長々と書いてきたが、実も蓋もない話をすると、『謝罪の王様』をすべて観ない限り判断不可能というのが結論である。現時点での。
「ポスターが似ている!」と言うは易しだが、「土下座」そのものはありふれているし、それを象徴的に描こうと思ったら、ほとんどの人があのような表現を用いるのではないだろうか。
さらに、あらすじを読む限り、『どげせん』が土下座に特化した物語であるのに対して、『謝罪の王様』は「さまざまな謝罪テクニック」を取り扱っているとしている。もっともインパクトのある、あるいは描写しやすい土下座がポスターなどには使われているけれども。

そういうわけで、両作品に類似性があるとは言い切れない。
また、依拠性についても、クドカンが『どげせん』を参照できる環境にはあったと認められるが、酷似した表現がなされているかは映画を観ないことにはわからない。


結局のところ何が言いたいかというと、『どげせん』のRIN氏は少々勇み足だったのでは、ということに尽きる。
たしかに謝罪をテーマにした作品は限られているけども、上述のように土下座のポーズだけで盗作とは言えないし、ましてやクドカンを「殴りたい」などというのは行き過ぎであろう。

仮にクドカンが『どげせん』を参考にしたなら素直にそう言えばいいし、内容が別物なのであれば、両作品とも謝罪をテーマにした素晴らしい表現である。

いずれにしても、わずかな情報で過剰にヒートアップするのはやめて、どちらかが謝罪のテクニックを駆使して矛を収めるくらいのオチはほしいものだ。

どうしちゃったんだ奥。プロスポーツ選手のセカンドキャリア

2013.06.08 (Sat)
元ジュビロの奥大介が、妻への脅迫、あるいは暴力の疑いで逮捕された…。
ジュビロ黄金期の彼を知っているだけに、非常に驚いたし、ショックだ。

しかし今回の報道で気にかかったのは、彼が飲食店の手伝いとして再出発を図っていたことだった。
あれほどの選手でさえ、引退後もサッカーの世界で食べていくのは難しいものなのだなあ。
「オレ頑張れそう」と語っていた、なんていう報道を耳にすると、今回の悲劇の裏にはこうしたセカンドキャリアの難しさからくる何かがあったのではないかなあと、いろいろ想像してしまう。想像でしかないけど。

Jリーグでは選手のセカンドキャリアをサポートする取り組みも様々に実施しているようだが、すべての選手をサポートしきるのはさすがに不可能に近いだろう。入団4年後には半分の選手が引退し、その3割しかサッカーの世界で食べていけないらしい。
プロスポーツ選手は、子どもたちの憧れであり夢だけれども、ずっとその世界で生きていけるのは、ほんの一握りのなかの、そのまた一握りなんだ。夢と背中合わせのリスクや現実を知らされた気がして、僕のような部外者は無邪気でいられなくなる。



それはそれとして、清水健太郎はまたかという感じだ。3年ぶり通算8度目の逮捕だという。甲子園出場校の記録じゃないんだから。
ねえマスター作ってやってよ。薬忘れるカクテル。ねえマスター早く。
 | HOME |  Next »
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。