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物忘れが激しく物覚えが悪い、三十路の備忘録

本 の記事一覧

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『ウルトラマンが泣いている 円谷プロの失敗』

2013.08.25 (Sun)
僕が小さい頃、リアルタイムで放送されているウルトラシリーズはなかった。それにも関わらず、ビデオや本でウルトラマンに親しみ、ソフトビニールの人形を買ってもらってはガシガシ戦わせて遊んでいたものだ。
僕が中学生くらいになると、ティガをはじめとした新シリーズが始まったりして、従兄弟のちびっ子なんかはやはり夢中になっていた。

かように子どもに大人気のウルトラマンが、泣いているだとぅ!?
かつて栄光を築きながらも次第に輝きを失っていった円谷プロ。その栄枯盛衰を、円谷英二の孫である円谷英明氏が綴ったのが本書である。

この本には、優良なコンテンツ作りと版権ビジネスの難しさが、よく表れていると思う。
今やパチンコメーカーの連結子会社、作品の商品化権もバンダイが握り、自社不動産も売却、創業者一族はすべて放逐という円谷プロの現状は、ウルトラマンでなくても泣けてくる。

どうしてこうなった…!

そもそもウルトラシリーズを1話制作するには、予算を超える莫大な資金が必要だったという。これには円谷英二の作家としてのこだわりも多分に影響しているのだが、質の高い作品を作れなければ人気を得られない。こうしたクオリティと予算のジレンマはコンテンツの制作現場では往々にしてよくあることだろう。

良質な作品を残しながらも、作るたびに赤字が膨らみ疲弊していく円谷プロ。
このジリ貧状態を抜け出そうと注力したのが版権ビジネスである。
本書では特に、三代目社長:皐(のぼる)氏によって、版権ビジネスに大きく舵を切っていく様が描かれている。このあたりの著者の語りは、よほど忸怩たる思いがあるのか、恨みがましいほどに執拗だ。
版権ビジネスを進める一方、コンテンツの源である制作部隊、制作費はことごとくカット。合理化といえば聞こえはいいが、ウルトラマンを生み出した制作現場こそが競争力の源泉だと考えている著者にとっては受け入れられないものだったようだ。

版権ビジネスは一時成功を収めたものの、ほどなくして失速。失敗の理由はいくつも書かれているが、皐氏の独断専行や経費乱用、海外での豪遊…などなど、三代目社長に対する糾弾はやはり色濃い。良くも悪くも合理的かつ打算的なビジネスパーソンだったのだろうが、本書においてはもはや悪代官でしかない。

著者の個人的思いはさておいて、海外での版権ビジネスにまつわる悲喜こもごもは面白かった。
米国での失敗、タイの会社との権利争い、中国への進出断念。権利をうまく使って儲けることが、とりわけ海外ではかように難しいのか、と思わされる。
日本ではまがりなりにも大人気だったウルトラマンをもってしても、海外で勝つのは容易でないのだ。
ガラパゴス日本におけるドメスティックな作品人気は、海外マーケットでは信用ならない。しかしそれ以上に、権利者の立ち回りや市場作りのヘタクソ具合が本書では際立つ。

コンテンツという資産をうまくマネタイズできなかったがために、かつてのような素晴らしいウルトラシリーズは作れなくなってしまったのである。かといって制作ポリシーや作家性だけでも赤字続きに陥る。皐氏の人間性はどうであれ、版権ビジネスや世界展開といったチャレンジ失敗は実に惜しいものだった。

本書は客観的な事実に基づいてはいるものの、全編を通して著者の恨み節というか怨念のようなものが染み付いている感は否めない。僕は正直、自分だけは正しかったと言わんばかりの書き方にはいくらか違和感を覚えた。
ここまで後腐れありまくりの円谷一族の現状にこそ、円谷プロの限界があったように思えてならない。

コンテンツビジネスの内幕を知るには、なかなか面白い本でした。
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生命力漲る1冊『聖の青春』

2013.06.26 (Wed)
腎ネフローゼという重病を抱えながら将棋を指し続け、29歳で逝去した村山聖。本作は、その燃えるような生涯を丁寧に書き綴った大崎善生のノンフィクションである。


ネフローゼは、タンパク質を吸収する腎臓の機能が弱まり、免疫力が低下することによって発熱等を引き起こされる難病であるという。根本的な治療法はなく、発熱するたび、ただひたすらに身体を休めるしかない。
幼少時にこの腎臓ネフローゼを患った村山聖は、病床で将棋に出会って以後、プロ棋士、そして名人を目指して生きていく。
聖にとって生きることは名人に向かって将棋を指し続けることに他ならない。度重なる発熱、入院を繰り返しながらも、類稀な集中力と勤勉さで将棋界を勝ち上がっていく聖。「生き甲斐」という表現さえ陳腐に感じられるほど、聖にとっての名人は尊く重い。


この小説を読んで感じられるのは、人が生ききることの激しさとエネルギーだ。
夢半ばでの死という結末を迎えるにもかかわらず、村山聖の人生からは、勇気とか闘志とか不屈といった前向きな言葉ばかりが浮かんでくる。読後には悲しさや切なさよりも、自分の生命に燃料を注ぎ込まれたような熱さが残る。「泣ける」とか感動といった言葉では言い表せないほどの力をもった作品だと思う。

変わり者の師匠と聖の関係も丁寧に描かれていて、不器用な二人独特のやりとりも実に味わい深いんだよなあ。

マンガ『3月のライオン』に登場する二階堂くんのモデルでは、との説もあるので、マンガが好きな人もぜひ。
これは本当に良い作品です。

森見登美彦『ペンギン・ハイウェイ』

2013.06.10 (Mon)
森見登美彦の『ペンギン・ハイウェイ』を読んだ。
この人の作品は他にもいくつか読んだが、本作はライトな村上春樹、という印象をもった。

物語はやけに賢い小学4年生アオヤマ君の一人称で語られる。
ある日、近所の空き地に、いるはずのないペンギンが大量に現れるところからストーリーは始まる。この現実とも夢ともつかない摩訶不思議な展開は、村上春樹にもよくある。
そして非現実的な探検と、現実的な学校生活の行き来。非現実的な世界を介した「お姉さん」とアオヤマ君の結びつき。「海辺のカフェ」なる喫茶店。散りばめられた謎がひとつに収束していって、最後に残る喪失感。
やっぱり村上作品へのオマージュなんでしょうかね。

比較するのもあれだけど、村上春樹の作品よりもこちらのほうがエロ・グロ的な部分がない分、スッキリと読めた。主人公の少年少女しかり、ペンギンしかり、かわいらしい寓話といった趣がある。

森見登美彦の描く登場人物は、どこかおかしみがあって魅力的に感じる。
村上作品だったら「スカした気障なやつ」になりそうな主人公だが(またまた引き合いに出して申し訳ない)、アオヤマ君にはふとした可愛らしさや素直さがあって微笑ましい。
「お姉さん」もすごくいい。森見登美彦が僕と年代が近いせいかなあ。漫画やゲームで育った世代が共感しやすいような女性像なんだよね。重苦しさがないというか。よくわかんないけど。

全体的にライトで読みやすい雰囲気。それでいて生命や死生観を考えるようなところもあって、読み応えもある。
僕としては、常に客観的で記録することにこだわるアオヤマ君が、メモしきれない「感触」や「感覚」を戸惑いつつも受け入れていくあたりに、著者の実感が込められているようで面白かった。

物事に絶対なんてものは絶対にない。米原万里:『魔女の1ダース』

2013.06.07 (Fri)
僕はそれほど読書家ではないけれど、これは自信をもってオススメできる一冊。
著者の米原万里さんはロシア語通訳者を本業に、エッセイスト、作家としても活躍した女性。詳しくはなんでも知ってるWikipediaをどうぞ。

タイトルにもなっている『魔女の1ダース』というのは、一般的には12で1セットである「ダース」が、魔女の世界では13で1セットとされていることからきている。
このように本書は、おおよそ常識的に知られている世の中にも、深く知ると「あっと驚くような」意外な事実が潜んでいることを教えてくれるものである。

取り上げる話題は、日常的な食事からアジアにおける日本、世界情勢や教育などなど、実に幅広い。
特に著者の仕事柄、東欧をはじめとした世界各地の風俗、慣習については本当に視点が細やかで、面白い発見が満載だ。
こうした数々のネタを綴る米原さんの語り口は淀みなく軽妙で、豊かな知識と観察眼にもとづく考察は、示唆に富んでいる。歴史的背景に絡む話もあるが、ごく簡単に噛み砕いて語られているので安心して読める。


僕はこの本を読んで、世の中知らないことが多いなあと思うと同時に、物事を別な視点から考えることの大切さをあらためて教えられた。
こう言うと月並みなテーマに聞こえるかもしれないが、本書ほど面白く、かつ深く頭に入ってくるものは他にない。それはやはり、くだらない話と奥深い話、笑えるネタと考えさせられるネタを巧妙に織り交ぜてくる著者の手腕によるものだろうなあ。


本書の冒頭で紹介される
「物事に絶対なんてことは絶対にない」
という言葉が印象深く、すべて読み終える頃にはこのアイロニックな一言が、僕にとって極上の金言になっていた。


価値観というのはまことに多様で、僕と誰かの価値観は、ときにまったく倒錯していることもある。
しかしあえて言いたい。
この本は絶対に読んで損はしない!
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