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物忘れが激しく物覚えが悪い、三十路の備忘録

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今のワンピースよりも初期ワンピースのほうが好きなワケ

2013.06.08 (Sat)
いい歳こいて少年ジャンプを購読している僕です。ジャンプは月曜日のダメージを軽減するための清涼剤であり、もはやそれが「ジャンプ」でさえあれば、中身はどうでもよい領域に到達している。面白いとかつまらないとかいう次元じゃない。

しかし『ワンピース』は確実に昔のほうが好きだった。
僕が歳とって飽きちゃったのか、あるいは懐古趣味なのかと思ったが、どうも違うようだ。
今のワンピースを楽しめない理由をここにメモする。


初期のワンピースのエピソードは、だいたい以下のような感じの筋書きでまとまっている。

起:ルフィ到着。新たな人物との接触。
承:虐げられる人々と、彼らを踏みにじり侮辱する理不尽な悪党の関係が明らかになる。
転:決定的な事件が起こり、怒ったルフィが悪党に鉄槌を下す。
結:長い苦しみ悲しみから解放される感動の結末。

水戸黄門か任侠映画の流れである。とってもシンプルだが善玉、悪玉、ルフィ一行の関係がわかりやすくて、なにより悪党に対してルフィが見栄を切る場面は、どのエピソードでもかっこよかった。
ワンパターンといわれようが、僕はこの任侠映画型のスタイルが好きだった。

しかし尾田先生が中学の頃から構想していたというワンピースの世界は、そんなこじんまりとおさまらない。
広大な世界とその仕組みが明かされるにしたがって、ワンピースは任侠映画型の連続から、大きな‘ひとつなぎの’物語へと変化していく。
時期にしてアラバスタを終えたあたりだろうか。

初期を任侠映画型とするなら、現在は大河ドラマ型とでもいおうか。

散りばめられた謎。複雑に入り組んだ勢力図。次々に現れるキャラクター。
そのすべてを視界に捉えながらグググイッと大きな物語を推し進めるようになったため、相対的にルフィの存在感は薄くなってしまったように思う。ルフィにフォーカスしていたレンズがススーッと引いていって、世界全体をレンズにおさめたような感じ。

そうすると、初期の頃は独立していたひとつひとつのエピソードが、大きな物語の中のいち場面にすぎなくなる。
ルフィたちの巻き込まれる事件が、世界全体が動くための仕掛けのひとつになる。膨大な世界の中にルフィの信念や意志は埋没していき、拳を振るう理由もだんだんボヤケてきたように思える。

ルフィといえば、「海賊王にオレはなる!」(ドン!)という超シンプルな行動原理で生きているので、世界情勢や歴史の謎なんて興味がない。いやむしろ、興味があってはいけない。虎視眈々と海の覇権を狙うキャラクターではいけないのである。過程などどうでもよいのだなのである。
初期こそシンプルな理念でエピソードを牽引してきたルフィだが、今やルフィの周りでは数えきれないほどのキャラクターたちがうごめき、彼らがいろいろ考えて物語を動かしている。結果として麦わら船長は、
「四皇を倒す!」(ドン!)
「なんか知らねえけど、アイツぶっ飛ばせばいいのか?」
「こんにゃろ〜〜!」
「すんげぇ〜〜!」
…なんだかカラッポになっちゃった。筋を通して悪を倒す、あのかっこいいルフィはどこか遠くへ行ってしまった。

任侠映画型から大河ドラマ型へと転換する中で、ルフィたちが活躍する単純なダイナミズムが失われてしまい、それが僕が今のワンピースをいまいち楽しめない理由になっている気がする。
大河ドラマ自体は、それはそれで面白いしさすがなんだけど、それゆえに今やルフィ以外の大物たちが動く話のほうが盛り上がるようなところがある。

尾田先生からしたら任侠映画みたいなものはやり終えたし、壮大な世界を描き切りたいことだろうから、仕方ないんだけど。世界のすべてを描きたい気持ちは、空白恐怖症とでもいえるような現在の書き込みっぷりにも見て取れる。個人的にはそれも読みにくいんだよなあ。


それにしても僕が中学生の頃に始まったこのマンガが、いつか終わるときには、それはスゴい感慨があるだろうなあ。それまでにかっこいいルフィは帰ってくるのか。
気長に読み続けるとしよう。
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