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物忘れが激しく物覚えが悪い、三十路の備忘録

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謝罪の出番? 『どげせん』と『謝罪の王様』に類似性・依拠性はあるか

2013.06.10 (Mon)
音楽にせよ絵画にせよなんにせよ、表現には模倣・盗作問題がつきものである。むろん映画もしかり。
映画『謝罪の王様』が漫画『どげせん』の盗作なのではと少々話題になっている模様。

著作権法上、盗作と認められるには作品の類似性依拠性を証明せねばならない。はたして当該2作品の間にはそのような関係があるだろうか。

類似性とは要するに両者の表現は似ているかという判断である。
話題の2作は両者とも「謝罪」がモチーフになっていてその点では似ているといえるが、これだけでは、たとえば野球漫画2作品を比較しているのとそう変わらない。謝罪自体に独創性はなく、一般的に認知されているからだ。
では、あらすじはどうだろうか。
<どげせん>
平凡な高校教師、瀬戸登が、土下座を駆使してさまざまなトラブルを解決していく。
<謝罪の王様>
「謝罪師」黒島譲が、依頼人から舞い込む大小さまざまな事件に遭遇し、謝罪のテクニックを駆使して解決していく。

ふむふむ。次に、今回の騒動の発端となったポスターに関する視覚的表現。

<どげせん>
単行本の表紙では土下座の動作全体を描写したものは見られない。作中や連載時の扉、グッズの広告などには、土下座する男性を正面から描いた絵がある。
<謝罪の王様>
ポスター、WEBサイトのトップページなどなど、広報物のメインは土下座する男性を正面から写した写真になっている。

なるほど。この他、主人公の容姿やタイトルデザインなどは、まったく異なるといってよさそうである。
類似性についてはいったん置いといて、依拠性についても考えてみよう。依拠性とは、後発の作品が先発の作品を参照して作られたかどうか、である。

クドカンが『どげせん』を見たうえで真似したかどうか、という話なのでこれを断言するのは非常に難しい。ただし、見ていないことが立証できれば、たとえ作品が類似していても盗作にはならない。依拠性とはそういった性質のものだ。
まず、クドカンが『どげせん』を見ることができる可能性があったか。これは○であろう。『どげせん』は一般に流通している漫画であるし、謝罪をテーマに作品を作ろうと思えば、おそらく、情報が入らないことはないだろう。
次に、明らかに参照したと思われる表現(台詞や絵)があるかどうか。これは『謝罪の王様』が公開されるまで僕にはわからない。今のところは「土下座」の図がまあ似ているというところか。
そして最後に先発作品の著名性・周知性だが、週刊雑誌に連載していたこと、原作が板垣恵介氏であることなどから、一定程度の知名度はあったと考えていい。少なくとも、クドカンが絶対に知らないと言い切れるほど無名ではない。


長々と書いてきたが、実も蓋もない話をすると、『謝罪の王様』をすべて観ない限り判断不可能というのが結論である。現時点での。
「ポスターが似ている!」と言うは易しだが、「土下座」そのものはありふれているし、それを象徴的に描こうと思ったら、ほとんどの人があのような表現を用いるのではないだろうか。
さらに、あらすじを読む限り、『どげせん』が土下座に特化した物語であるのに対して、『謝罪の王様』は「さまざまな謝罪テクニック」を取り扱っているとしている。もっともインパクトのある、あるいは描写しやすい土下座がポスターなどには使われているけれども。

そういうわけで、両作品に類似性があるとは言い切れない。
また、依拠性についても、クドカンが『どげせん』を参照できる環境にはあったと認められるが、酷似した表現がなされているかは映画を観ないことにはわからない。


結局のところ何が言いたいかというと、『どげせん』のRIN氏は少々勇み足だったのでは、ということに尽きる。
たしかに謝罪をテーマにした作品は限られているけども、上述のように土下座のポーズだけで盗作とは言えないし、ましてやクドカンを「殴りたい」などというのは行き過ぎであろう。

仮にクドカンが『どげせん』を参考にしたなら素直にそう言えばいいし、内容が別物なのであれば、両作品とも謝罪をテーマにした素晴らしい表現である。

いずれにしても、わずかな情報で過剰にヒートアップするのはやめて、どちらかが謝罪のテクニックを駆使して矛を収めるくらいのオチはほしいものだ。
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