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物忘れが激しく物覚えが悪い、三十路の備忘録

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くたびれた大森南朋 『さよなら渓谷』

2013.06.14 (Fri)
先日『さよなら渓谷』の試写会へ行って来たのでメモ。
タダで映画が観られるなんてありがたや。

なかなかヘビーな映画だったなあ。
15年前に起きた犯罪の被害者と加害者が、なぜ共に暮らすようになったのか。
主人公夫婦の隣家で起きた幼児殺しがきっかけとなって、15年前から現在に至るまでの真相が明かされていく。
ってのが筋立て。

序盤はミステリー仕立てで、話が進むにつれて被害者と加害者の心情にフォーカスしたドキュメントタッチになっていきます。
一生モノの傷を負わされた人と負わせた人が一緒に暮らすなんてのは、ほとんどファンタジーなんだけど、もしかしたら人の情愛にはこんな形もあるのかなあと思わせるだけの、もっともらしさはある。
この投げ掛けが本作の主題であろう。二人の関係を「歪んでいる」と捉えるか「意外と真実」と捉えるかは、人によって様々。話の核となる仕掛けはポスターで堂々と暴露されているが、主題について考えるには映画の後半を観る以外にない。

個人的には二人の関係とかよりも、くたびれた大森南朋と主役の男性に目がいってしまった。
この男二人には、輝かしい過去としようもない現在という共通点がある。特に中年丸出しの裸体を晒した大森南朋には「今のオレ情けねー」感が滲み出ていてたまらん。

彼らを見ていて思うのは、犯罪にしろ就職の失敗にしろ結婚の失敗にしろ失恋にしろ、誰にだって大なり小なり逃れ難い過去はあるよなあ、ということ。ほんの些細な事だって、自分にとっては墓場まで持っていくくらいの後悔だったりする。少なくとも僕には思い当たることがある。
そういうものと相対して生きていく辛さとか情けなさを感じるなあ。

僕は犯罪者ではないので、大森南朋の妙にリアルな中年裸体に感じ入った次第。
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