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物忘れが激しく物覚えが悪い、三十路の備忘録

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あえて今更B'zの足跡を辿る(2)大衆性と趣味性

2013.06.22 (Sat)
前回、B'zのデビュー曲から楽曲のスタイルと意図を探り、シビアかつ強かなビジネスパーソン・松本の姿を確認した。彼らがポッと出のラッキーユニットではなく、感性に任せたライブバンドでもなく、「売れるべくして売れた」オトナのプロジェクトであったことが窺えたように思う。
そしていよいよ趣味性に走っていくB'zのブレイク後を追う!

『LADY NAVIGATION』
ブレイクを果たし前作までで音楽の幅を広げてみせたB'zは、もう一度確かめるようにデジタルに戻ってきた。
この曲に関しては、まず何も言わずにPVの視聴をすすめる。紙くずが舞う中、満面の笑みを浮かべながらクネクネとダンシングする稲葉氏。今になってみると笑えてしまうビデオだが、これを今恥ずかし気もなく披露できる彼らの素朴さといったらどうだ。飾らない人柄に胸を打たれてしまう(大げさ)。
曲は原点回帰したかのような軽やかさ。というかペラペラ。「ロックこそB'z」と信じてやまない方にはウケないだろうが、僕が密かに気に入っている松本のカッティングが楽しめる。
稲葉の歌詞も冴え渡り、「公園のベンチでソフトクリームを舐める」「地球にはじけるほほ」などなど、独創性溢れるフレーズを投げ込んでくる。うーん言葉の意味はよくわからんが、なんだかすげえイメージだ!

本作はカネボウ「NAVI」とのタイアップだったため、キッチリと歌詞にも「NAVI」を使用。後のタイアップソングにも度々見られる律儀さだが、こういう生真面目なところもまた、商業主義とか言われてしまう遠因なのかもしれんですね。
まあコピーと歌詞を絡めるなんてのは昔のアイドルソングとか世良さんの『燃えろいい女』とかにもあるわけで、本人たちはエンジョイして作ってると思うんだけど。

『ALONE』
サビ前のオーケストラヒットが印象的なロッカバラード。いかにもロックバンドっぽく、とうとうやりたいことをやりだした感じがする1曲だ。
が、しかし、モトリークルーの『time for change』に似ているとの指摘あり。ええ。コード進行そっくり。AメロからBメロもほぼ一緒やね。いやはやなんとも苦笑いしか出てこない…。
ま、まあモトリーのほうがシンプルで、び、B'zのはアレンジが凝ってるね! うーん、好きでこういうのやりたかったんだろうなあ。以上!

『MARS』
音楽性をシフトしようというときに、毎度毎度出してくるミニアルバム。「踊れるハードロック」がテーマだというように、ついに念願の「ハードロック」への扉をノックする。
1曲目『孤独のRUNAWAY』からヘヴィな音作りになっており、今日のロック歌謡的なB'zの原点がここにあると思う。中期以降の楽曲が好きな人ならば、ここまでは遡って聴いてもまず違和感はないだろう。

このアルバム、これまで以上に実験的である。攻めすぎている。表題曲である『MARS』からして、静かで不穏なギターにのせて、ただひたすら稲葉が語るという代物だ。
しかし、それ以上に僕が問題視するのが、『Loving All Night 〜Octopus Style〜 』! 間奏中、突如として喘ぎ始める稲葉…
「はあ、は、はあ…」(おやおや?)「ああ! あう! んぅぅぉぁぁああああういぇえ!!」と喘ぎからのシャウト! 絶頂に達する稲葉! 凄まじいハードロック! なんやねんコレ!

『BLOWIN'』
喘ぎ声まで投入した『MARS』に手応えを感じたのか、同じ路線でシングルをリリース。シングルゆえか、こちらのほうがポップ。さすが松本、手堅い。
デビュー当初から掲げてきた「デジタルと生音の融合」はここへきてマーケットに受け入れられ、松本がじっくりと階段を上ってきた結果、踊り場に立ったといえるだろう。初期B'zの完成型である。
「ボーロボッロにー」と始まるAメロが印象的だが、歌詞とメロディの心地よいハマり具合もお見事。「歌詞にタブーを作らない」とは稲葉の談だが、以後、譜割に合わせて妙なフレーズも歌いこなす稲葉らしさの萌芽を見る。

『ZERO』
前作で「デジタルと生音の融合」に一応の完成を見た。それまで慎重に慎重を重ねてハードロックという趣味性を小出しにしてきた松本は、ここで一気にロックへと振り切ってみせる。果たしてこの勝負手は、吉と出たのである。
イントロから、明らかに重厚になったバスドラムと歪むギターサウンド。「風がブロウィング」していた爽やかさはどこへやら、稲葉も「オーライ!」とすっかりロックだ。
歌詞のほうも「このまま車ごと君の家に突っ込もうかなんてことまで浮かんでくる」とアナーキー。そして「工事渋滞」や「からっぽの冷蔵庫」というフレーズに忙しない都会暮らしの虚無感を託しつつ、東京砂漠よろしく無味乾燥な世界でいっそ何も考えずゼロになってしまいたい、と歌う稲葉。これほど象徴的に“気分”を言葉にできるとは、詩人だなあ。

しかし、こうしてミリオンセラーになったこの曲も、The Eaglesの『Victim Of Love』に酷似していると指摘されている。う、うぬぬ…。


当時だってロックバンドは活躍していたが、100万枚売るようなポップス歌手がコテコテのアメリカンハードロック/メタルをやるというのは、たしかにチャレンジだったろう。今マーケットを見渡しても彼らほど大衆性を備えたハードロック/メタルのバンドがいないことを考えると、彼らが開拓者にして孤高の王者であることは自明だ。

ここでも何曲かあげたように、たしかにパクリといわれてしまうのも仕方がない面はある。ただ、あえて言うなら、洋楽ロックを下地にしながら日本の大衆にブリッジしたことに、意味があるとは思えないだろうか。もっと好意的に解釈するなら、それは彼らにとって「大好きな音楽」の延長にある遊び心だった。
もちろん人によって捉え方はそれぞれだし、パクリという批判もあって当然だと思う。
しかし僕は、彼らが趣味性の結果として成し得たことは、大衆邦楽市場にひとつ新しい音楽を持ち込むという価値ある行為だったと思うようにしている。


といったところで続く。
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